++歴史書懇話会++

三浦佑之著『古事記のひみつ』(吉川弘文館)など新聞紹介
三浦佑之著『古事記のひみつ』(吉川弘文館)など新聞紹介相次ぐ
★毎日新聞8月7日夕刊「文化欄」では<「古事記『序』偽造説」の三浦佑之さんに聞く>と題して、『古事記のひみつ』(吉川弘文館)の中で展開している「古事記の「序」偽造説」についてインタビューしています。「同じ天皇が二つの歴史書をつくるなんてことがあるでしょうか」また「断然面白いのは古事記です。でも、天皇に背いて死んでいく反逆の物語のような反国家的、反律令的な史書を天武がつくらせるでしょうか」…この矛盾の最適な説明が「序の偽造」というわけだ。「王権の中心から外れたところで、律令国家に一元化する主張とは違った歴史が語られていたのではないでしょうか。古事記以外にも、そうした歴史があったと思う」…「今見えている歴史は、さまざまな試みの最後のものでしょう。これまで文学者は古事記中心、歴史学者は日本書紀中心に研究してきたが、互いに全体を見て、もっと議論しあうことが必要だと思っています。」
★読売新聞8月10日朝刊「文化欄」では『古事記のひみつ』と神野志隆光著『漢字テキストとしての古事記』(東京大学出版会)が紹介されました。まず『古事記』の序文は、「権威付けのため、9世紀になってから付け加えられた偽物」。そんな挑発的な説を主張するのは、ベストセラー『口語訳古事記』で知られる三浦佑之・千葉大教授。『古事記のひみつ 歴史書の成立』(吉川弘文館)の中で緻密な議論を展開している。「国の威信をかけて総力をあげている時に、天武天皇が、その枠組みを外れる内容の歴史書をまとめろと命令するとは考えられない」と、三浦教授は指摘する。序文が偽造であるとするゆえんだ。ただ、本文については、7世紀以前から口承で長く語り継がれてきた物語そのものであり、むしろ『日本書紀』よりずっと古い人々の息吹を伝えていると評価する。「正史からこぼれた物語を美しく感動的に語ろうとするところにこそ、語り文学としての『古事記』の本質がある」と話す。
一方、『漢字テキストとしての古事記』(東京大学出版会)を著した神野志隆光・東大教授の説は、ある意味でさらに衝撃的。レ点やフリガナがついていない漢字のみの原文を徹底して読み込むことで「8世紀の官人が工夫した、人工的な書き言葉でつづられた」との説にたどり着いた。…『日本書紀』が中国文で書かれた正統な史書であるとするなら、『古事記』は、漢文という外来文字を用いて日本語としての表現方法を模索しながら書いた最初の「文学作品」というべきか。「『古事記』の文章を単なる口承文芸に還元してしまうのは、かえって7〜8世紀の文化人たちの高度な創造力を否定することになる」と指摘する。
両説は「水と油」と言っていいが、通説を疑うという姿勢は共通している。どちらが正しいにせよ、『古事記』の価値が減じることはないだろう。

『古事記のひみつ』三浦佑之著/定価1,785円(税込)/吉川弘文館
* 本書の詳細は下記をご覧ください。(協力:紀伊國屋書店)
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『漢字テキストとしての古事記』神野志隆光著/定価1,785円(税込)/東京大学出版会吉川弘文館
* 本書の詳細は下記をご覧ください。(協力:紀伊國屋書店)
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2007年08月11日(土) No.58 (新聞書評)

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